WEST.やDa-iCEの振り付けも経験。ダンサーGAMIさんのキャリア形成と育成
#インタビュー
2024.12.05

WEST.やDa-iCEの振り付けも経験。ダンサーGAMIさんのキャリア形成と育成

Shuta SueyoshiやNissyのバックダンサー、そしてSUPER EIGHTやWEST.、Da-iCEのコレオグラファー(振付師)といった華麗な実績を誇るGAMIこと中神慶太郎さん。

今回のインタビューで見えてきたのは、とても丁寧に言葉を紡ぐ人だということ。それは次世代のダンサー育成にも力を入れている責任感によるところも大きいのかもしれません。ダンスに興味のある方だけでなくマネジメントを行う方にも読んでいただきたいです。

INDEX
  1. 最初はダンサーになるつもりはなくPR会社に就職
  2. 「自分のダンスが欲しい」から振り付けを始めた
  3. 日常のすべてがインスピレーション源
  4. 将来的にはAIが振り付けを考える未来もある?
  5. Z世代とのコミュニケーションには言葉が不可欠?
  6. s**t kingz(シットキングス)に“不可能”がない理由
  7. コロナ禍をきっかけに“稽古場”プロジェクトを発足
  8. 脱サラして11年目、一周回って原点回帰
placeholder

GAMI(中神慶太郎)

Shuta Sueyoshi、Nissy、三浦春馬、EXO-CBXなどのバックダンサー、SUPER EIGHT、WEST.、Da-iCE、GENIC、EBiDAN、超特急、M!LK、原因は自分にある。などの振り付け経歴をもつ、ダンサーでありコレオグラファー(振付師)。En Dance Studio、NOAダンスアカデミーにてダンス講師、そして一般公募により集まったメンバーとダンスに関わるさまざまなことに挑戦する「稽古場」プロジェクトの主宰など、次世代育成にも力を入れている。

最初はダンサーになるつもりはなくPR会社に就職

ダンスとのであいについて、お聞かせください。

3,4歳のころにマイケル・ジャクソンのライブ映像やMVを見て、かっこいいなと思って憧れはじめたことが明確なターニングポイントでした。

でもずっとダンスをしてきたわけではなくて、野球をしたり、カラオケ三昧になったり、よくある“青春”を謳歌していたなか、どんなときも心の中では「音楽を聞いてなにかを表現したい」という気持ちがくすぶっていたんです。

高校1年のときも迷った末にダンス部ではなくテニス部に入って、結局1年で辞めてしまったという経緯があったので、大学生になって「これが最後のチャンスだ」と青山学院大学のADLっていうダンスサークルに入り、本格的に始めることにしました。

ダンスに関してはできるようになる楽しさも、その分できないことへのもどかしさも強くて楽しかったんです。

でも大学卒業後はダンサーになるのではなく、広告代理店に就職されたんですよね?

ダンサーになるという選択肢はまったくなかったですね(笑)。マイケル・ジャクソンに憧れて、音楽が好きで……っていう背景をふまえたうえで、感性を使って社会貢献できる仕事を考えて、一番近いのが広告代理店、厳密には「PR会社」と呼ばれるところかなと思い、選びました。

ダンスは趣味でやっていくというお気持ちだったのでしょうか?

やるからには仕事でトップを目指したかったので、集中するためにもダンスは完全に「おしまい」と切り替えていました。「辞める」という概念は持っていないのですが、本腰を入れてダンスに向き合う姿勢はおしまいという気持ちです。

でもいざサラリーマンになってみたら、やっぱり音楽に直接的に触れていたい、感性の表現についても、もっと直接的に関わっていきたい、と思っていることに気づきました。

もしかしたら広告のクリエイティブを考えるような仕事をしていたら今でも続けていたかもしれないですけど、もっと上流のマーケティングなどを行う仕事をしていたので、感性を使うというよりもロジカルに捉えることが多かったんです。

あと当時ダンスを始めてまだ3年しか経っていなくて、どんどんのめりこんで全力で走り出したところでパンッと終わってしまったので、もし続けていたらどこまで伸びたのかなと気になっていました。

自分みたいに止まらずに、ずっと走りつづけている同年代、先輩が活躍されているのを見て歯がゆくなる気持ちもあって、たぶん自分の可能性を試さないと40歳、50歳になったときに後悔するなと感じたんです。

このまま仕事に邁進してお金に余裕もできて、結婚して……っていう順風満帆な暮らしぶりはイメージできていたんですけど、そうなっても僕は「あのときにダンスをしていたらどうなったのかな」って絶対に考えるだろうと思って「とりあえずやってみるか」と決断しました。ほかにそんな気持ちになったものはなかったので、貴重な経験かもしれません。

「自分のダンスが欲しい」から振り付けを始めた

振り付けを始められたきっかけはなんでしたか?

脱サラしたときに思っていたことのひとつが「ダンスで有名になりたい」だったんです。それを叶えるためには、いろんな人に自分のダンスを知ってもらう必要があって、それなら自分を表現するものをしっかり持たなきゃいけない、じゃあ自分で振り付けを考えてみようか、という感じで始めました。

もともと振り付けは得意じゃなくて、人の振り付けを踊るほうが好きで、でもそれだけでは個性がない、人のコピーはできても自分の個性の入れ方がわからない。じゃあ自分の振り付けを作れば、そこから個性が見えてくるんじゃないかなっていう“自分探し”の意図もありました。

音楽を聞いたときに芽生える“もやっとする感覚”を身体なのか歌なのかでアウトプットしたいという思いがあるんですけど、それがなんなのか自分ではよくわからない、だからそれを見つけたくて自己表現を追求してみた結果が振り付けだったのかなとも思います。

その感覚は、振り付けやダンスによってアウトプットすると完全に発散されますか?

そうですね、でもそのもやっとしたものを具現化するのは難しくて、自分でもひねり出してできあがってからようやく「これだったんだ!」とわかる気がします。

GAMIさんにとって振り付けは「自己表現」という側面が大きいと感じますが、自分のために作る振り付けとだれかアーティストのために作る振り付けはやはりプロセスが異なりますか?

自己表現のほうはいい意味で自分勝手でありたいと思っているので、とにかく自分が表現したいものを作りたいと考えています。

一方でアーティストの方の振り付けとなると、その方やファンの方々、それからこれからファンになるかもしれない方々、いろんな方のことを考えて作らなきゃいけないと思っているので、やっぱり違いますね。

一番気にしているのは、これからファンになる可能性のある方々かもしれないです。まだその魅力に気づいていない方々に対して、その良さをわかってもらったり、作品として伝えたいもの、確固たる世界観があれば、それらを伝えやすくしたりすることは心がけています。

日常のすべてがインスピレーション源

振り付けのインスピレーション源になっているものはありますか?

「全部」だと思います。日常を過ごすうえで見たり聞いたり体験したもの全部。今のこの状況もそうですし、「雨降っているな」とか「怪我しちゃったな」とか。

人生観、挫折した経験、見ている景色、本当になんでも、気づいたら全部潜在意識に入っていって、なにか合致するような楽曲があれば、そこから具現化されて振り付けに活かされるっていうことはすごくたくさんあります。

積極的にヒントをもらうために行っている行動としては、Instagramなどいろんな媒体で海外のダンス動画を見ること。あとは最近ちょっとおもしろいなと思って行っているのは美術館。昔は全然好きじゃなかったんですけどね(笑)。

とくに影響を受けているのはゲームです。その影響力は凄まじいと思います。なかでも映画みたいに独特の世界観やストーリー性のあるゲームが好きで、アニメもよく見ますね。最新のものから昔のものまで、広く影響を受けていると感じます。振り付け一つひとつというよりも、演出面の発想の出所がそういう作品であることが多いです。

たとえば主人公が水の中に潜ったら、そこからスローモーションになって次のシーンに入れ替わっていく、そのあいだにどんどん画が変わっていく、といった非現実的な映像がインスピレーションになっていると感じます。急に全部粉々にくだけて砂になっていくとか。羽がたくさんあるところに走っていったらふわっと広がっていくとか。

「稽古場」っていう、僕が主宰しているプロジェクトのなかで、2022年にStray Kidsの『Back Door』という楽曲に勝手に振り付けたときの、怪しい森の木々が急にガガガッて動いて通せんぼをしたり、それを上に排除すると道ができたり、っていう動きや構成も、ゲームや映画からインスピレーションを受けている部分が大きいと思います。

将来的にはAIが振り付けを考える未来もある?

AI技術の発展が進み、活用領域もどんどん広がっていますが、今後ダンスや振り付けの分野にも影響はあると思いますか?

ゆくゆくはAIの技術がもっと発展して、ダンス界にもなにか新たな取り組みが始まるんじゃないかと思います。AIが振り付けを考えることができたら、それをディレクションしてひとつの振り付けにするということはそれほどコストもかさまなくなりますよね。

GAMIさんがこれまで考えてきた振り付けをAIの学習データとして取り込みたいといわれたら提供しますか?

考えたことがなかったので難しいですが、提供してもいい……ですよ(笑)?ただ、そもそも現時点でも振り付けに著作権が認められるケースが少ないので、提供するとなったらなおさらそういった部分をきちんと整理して、きちんと知的財産だと認知してもらいたいですね。

Z世代とのコミュニケーションには言葉が不可欠?

なんかこうやって言語化すると、自分ってこうだったんだと気づくのでおもしろいですね。

そう言っていただけるとうれしいです。ちなみに日常生活でなにかひっかかる点が出てきた際、言葉と動きの2択だったらやっぱり動きが先に出ますか?

完全に動きですね。言語化しようとすればできるんですけど、あまり多くを語らないタイプかもしれません。でも最近はそれはあまりよくないなと感じています。

結構いろんなことを頭の中で考えているのに、表に出すのはその一部でしかないから、よく「なにを考えているかわからない」って言われるんです。なので最近はなるべくしゃべるように心がけています。

ただ、自分たちの世代はいわゆる“背中で語る”方々に教えてもらったという感覚が強くて、正直生徒との関わり方についても真似してしまう部分があるんですよね。

全部語ってしまうと言葉一つひとつの重みがなくなってしまうし、自分で気づけるはずのところも気づけなくなってしまうので、あんまり喋らず、背中で、身体で、行動で表現して伝えるということを心がけてきたんです。

でも時代の流れもあってZ世代の感覚とはギャップが生まれていて、今の若い子たちには言わないと伝わらないことが多いなと感じることが増えました。それで今は以前より多く言語化するようにしているという感じです。

いろんな業界で耳にする課題ですね……。コロナ禍で人と対面で接する機会が減ったという点も影響しているかもしれません。

やっぱりそうですか?こないだほかのダンサーと集まって話したときにみんな同じことを言っていたので、僕だけじゃないんだなと思ったところでした。コミュニケーションが受け身というか、積極的な子が少ないというか……。

もちろん個人差はあるし、全体的にそういう傾向があるなら柔軟に対応していかなきゃいけないと思う一方で、結構悩ましい問題だと捉えています。

s**t kingz(シットキングス)に“不可能”がない理由

背中を見て教わったとおっしゃいましたが、s**t kingz(シットキングス、通称:シッキン)から受けた影響についてお聞かせいただけますか?

僕はほとんどシッキンさんで構成されているといっても過言ではないくらいお世話になりすぎているので、頭が上がらないどころか埋まっている感覚ですね。

最初にダンスを習った先生が当時D-BL∀ST(ディーブラスト、s**t kingzのkazukiさんとNOPPOさんが所属していたダンスユニット)として活動をされていて、現在GKKJ(ゲコクジョウ)というイベントを開催されているYOSHIKIさんなんですが、ほぼ同時期にs**t kingzのkazukiさんにも教わっていました。

大学生のころにシッキンさん主宰の第1回目のナンバー(※)に参加させていただいてから、脱サラ後も本当にお世話になって、ダンス面はいわずもがなですし、人間性、人柄といった面でも本当に一番刺激を受けたと思っています。

※ ナンバー:イベントや発表会に向けて作られるダンス作品のこと

怖いくらいマイナスな部分、ネガティブな要素がないんですよ。不可能を可能にしていく力が強くて、振り付けを作る際に「ここ、音にはまっていなくない?」って行き止まりに見える場面にさしかかっても、シッキンさんなら「こうしたから次こうしてみよう」「じゃあ次はこうだ」っていう感じで、気づいたらトントン拍子にものすごいものができあがっているんです。

何事に対してもそうやって対応しているから不可能がないんですよね。「これはさすがに無理じゃない?」と思っても、彼らが動くと全部可能になっていくのを目の当たりにしてきたので、柔軟な発想の転換、それからそもそも無理だと思わないポジティブな考え方、そういうところにすごく刺激を受けています。

コロナ禍をきっかけに“稽古場”プロジェクトを発足

一般公募によるメンバーと作品づくりを行う「稽古場」というプロジェクトを立ち上げたきっかけについて、おうかがいできますか?

昔から新しいことを企画するのが好きな分飽きっぽくて、過去にやっていたプライベートレッスンも、自主開催のレッスンスタジオも、ワークショップも、コロナ禍にみんな一斉に始めて目新しさを感じなくなってしまったので、新たにわくわくすることを考えました。

アーティストのMV撮影の立ち会いといった現場経験、振り付けの経験などについてはそれまで伝える場所がなかったので、そういった自身が培ってきたスキルを伝えられる場所を作れればと思い、「稽古場」というのを思いつきました。

本気でダンスと向き合ってくれる人であれば、自分の考えもオープンに伝えたり聞いたりしてもいいのかな、伝えてみたらどうなってくれるのかな、と思って始めたんですけど、やっぱりモチベーションの高い子は目を見ればわかりますね。

通常のレッスンだと、その中でひとつ振り付けを覚えたらそれでおしまいにしちゃう子が多いんですけど、稽古場のソロパフォーマンスの場合、何回も繰り返し練習して最終的には撮影するというプロジェクトなので、それぞれの伸びしろが見えるんです。

最初はできなかった部分も本番になったら一人で踊らなくちゃいけないというプレッシャーがあるから、ひとつのダンスとの向き合い方、自分との向き合い方が通常のレッスンとは全然違う感覚になってくれているなと感じます。

脱サラして11年目、一周回って原点回帰

最後に、今後の展望についておうかがいできますか?

展望という大それたものではないんですけど、自分に素直に行動することをモットーに、日々ずっとチャレンジしつづけて進んでいきたいなと思っています。でもそれって、脱サラして世に出てきたときと言っていることがまったく変わっていなくて、今ダンサーになって11年目くらいなんですが、1周した感じがありますね。

最終的に「いろいろやってきたけど結局自分はなにを残せたんだろうか。本当はもっとダンスでこういう表現したかったのかな」と後悔したくないので、自己研磨して自分のセンスを磨きながら、常によりよいものを作っていきたいです。

あとは仕事ばっかりしていると人に会わなくなってしまうので、たまには無理してでも会えるときに会って、一緒に「いえーい!」ってはしゃげる友だちやプライベートも大切にして、おじいちゃんになったときに「あのときがんばったよな」とか言いながら、わいわい過ごしたいなと思っています(笑)。

写真:LUCAS EIZO

この記事を書いたライター

浦田みなみ
浦田みなみIP mag編集長

東京生まれ、渋谷ラバー。2011年小説『空のつくりかた』刊行。その後アパレル企業のコピーライティングをしたり、webメディアを立ち上げたり。最近の悩みは、趣味が多すぎてなにも極められないこと。でもそんな自分が好きです。

このライターの記事一覧を見る
Follow Me
この記事をシェアする