東京生まれ、渋谷ラバー。2011年小説『空のつくりかた』刊行。その後アパレル企業のコピーライティングをしたり、webメディアを立ち上げたり。最近の悩みは、趣味が多すぎてなにも極められないこと。でもそんな自分が好きです。
2017年彗星のごとく現れた4人組ロックバンドPARIS on the City!(Vo.&Gt.:明神ナオさん、Gt.&Cho.:小林ファンキ風格さん、Ba.&Cho.:イマ・イマイさん、Dr.&Cho.阿久津信也さん)
一度聴いたら思わず口ずさんでしまいたくなるような軽やかで明るいメロディーに、少し皮肉めいた歌詞が特徴的な彼らの楽曲は、活動開始から7年経ち、コロナ禍、メンバーの脱退、新メンバー加入という変動のなか、変わってきた部分と変わらずにそこにありつづける部分と両面を湛えています。
今回のインタビューは毎年恒例の「春のパリまつり!2024」(PARIS on the City!と彼らにゆかりのあるゲストたちによって行われるライブ)直後に行われたということもあり、熱量そのままに、新体制となって初めてのアルバム制作に臨む今ならではの心持ちをお聞きすることができました。
PARIS on the City!
2017年活動開始。60年代モータウンをルーツに持ちながら、ロックやシティポップなど、さまざまな音楽性を織り交ぜた楽曲が人気の4人組バンド。2023年8月にベースメンバーが脱退、2024年3月よりイマ・イマイ氏が加入し、現在の体制になる。(メンバー(左から):Ba.&Cho.:イマ・イマイさん、Gt.&Cho.:小林ファンキ風格さん、Vo.&Gt.:明神ナオさん、Dr.&Cho.阿久津信也さん)
「春のパリまつり!2024」おつかれさまでした。現体制では初めてでしたが、いかがでしたか?
明神ナオさん(以下、明神):一言でいうと楽しかったです。「これから新体制のPARIS on the City!を見せていくぞ」というのをちゃんと音でお客さんに伝えられたというのは大きかったですし、いいスタートを切れたと思います。
イマ・イマイさん(以下、イマイ):僕の場合は去年の「夏のパリまつり!」を客席で見ていたんですよ。だから今回出させてもらうの楽しみだったんですけど、いざ本番になってから「これは結構責任重大だ」というのをひしひし感じました(笑)。
いろんなアーティストの方々が出演して、素晴らしい演奏を見せてくれたのはもちろん、楽曲をカバーしてくれたり、いろんな仕掛けを作ってくれたりするなかで、自分がPARISのメンバーとして今後やっていくという覚悟を持たないといけないというのをライブ中に改めて感じたという感じです。
小林さんはほとんどすべてのアーティスト演奏に出演されていましたよね。
小林ファンキ風格さん(以下、小林):あそこまで出たら全部出ればよかったですね(笑)。本当に全員に感謝しかないライブでした。
そもそも去年メンバーが1人脱退して、そこに入りたいと思ってくれたイマイさんにも感謝ですし、ライブやるよって言ったときに集まってくれる出演者のみなさんにも感謝ですし、しかも内緒で僕らの曲のアレンジを披露してくれるアーティストもいて、一緒にイベントを盛り上げようとしてくれているのが伝わりましたし……。
それからもちろん、会場のスタッフさんにもお客さんにも感謝です。PARISを好きでいてくれてありがとう、うれしいなっていう気持ちになりましたね。
イマ・イマイさんが入られたきっかけについてもお伺いできますか?
イマイ:もともと明神さんとつながりがあったんです。10年くらい前、2人とも関西にいて、大阪とか神戸のあたりのライブハウスに出ていたので、対バンすることも多くて……。
その後、明神さんが東京に行ってからも、僕は今から3年くらい前に上京するまでしばらく大阪にいたんですけど、PARISの存在は知っていたので、こっちに来たときにライブを見に行ったんです。そしたらトイレでばったり会って……(笑)。
小林:イマイさんが来るの知らなかったの?
明神:全然知らなかった。大阪にいると思っていたからびっくりした。
イマイ:完全にお客さんに紛れてこっそり行っていたので……(笑)。その後しばらくしてベーシストが抜けるっていうのをSNS上で知って、でもそのときはただのリスナーだったから「そうなんだ」くらいの感覚でしたね。
契機になったのは、コバ(小林ファンキ風格さん)がXで「ゆる募」みたいな感じでベーシストを募集しているのを見たとき。
てっきりソロプロジェクトかなにかを始めるにあたってベースを探しているのかと思ったら、PARISのメンバーを募集しているって言われて「まじで!?」って驚きながらも「やりたいやりたい!」って立候補しました。それで最初はサポートというかお手伝いみたいな感じで始めて、今にいたります。
小林:募集したときにPARISのメンバーだってくわしく載せなかったのは、当時まだ田中さん(PARIS on the City!の元ベーシスト、田中裕一さん)が所属していたからなんです。
本人は「もう言っていいよ」って言ってくれていたんですけど、僕の気持ち的にも、ファンの気持ちを考えても「まだ田中さんがいるのに」って思われるんじゃないかと思って、僕のソロプロジェクトみたいな感じで募集をかけました。
そしたらたくさん応募してくれたんですけど、「PARIS on the City!のメンバー募集です」って言った途端に、ほとんどの人が熱量下がっちゃったんですね。
バンドってチームであって、お金にしたくてやっているわけじゃない……もちろん最終的にお金になったらいいですけど……っていうところがあるので、結構な人数が離れていってしまったんです。
たぶん、どこかのレーベルがサポートしているソロプロジェクトで、お金が潤沢にあるっていうのを想像していたんでしょう。でもそれはしょうがないです、そもそもの僕の誘い方に問題があっただけなので。
それでも残ってくれた人の中から、スケジュールが合う、東京に住んでいる、といった条件で絞っていって、実際にスタジオでセッションをして、ハロプロでいうところの「研修生」としてサポートメンバーに入ってもらって(笑)、半年間の研修期間を経てイマイさんが新メンバーになってくれたって感じです。
体制が変わって、楽曲づくりや演奏時のコミュニケーションなど、なにか変化はありますか?
明神:僕自身はあまり変わらないんですけど、イマ・イマイはトラックが作れるので、いろいろアイデアを出してくれて、その辺はおもしろいなと思っています。
小林:ただ演奏するだけじゃなくて、曲が好きで、その構造を分析したうえでどういう音がいいかっていうのを考える人なので、アレンジの能力にも長けていて、今まで僕らのバンドにはいなかったタイプで、めちゃめちゃ助かっています。
イマイ:元々リスナーだったし、サポートをやっていたときからPARISに関しては絶対に譜面を見ずに演奏しようと思っていたので「暗記しなきゃ!」っていうマインドじゃなくて、なんの負荷もなく「知ってる知ってる!」みたいな感じでやっています(笑)。
小林:やっぱり応募してくれた人たちの中で、1人だけ「やりたくて来ている熱」が異常だったよね(笑)。ノリが違ったんですよ。
明神:実際に何度もライブに足を運んでくれているっていうのもでかいと思う。
アー写もまた以前と違った雰囲気でおしゃれですが、撮影にあたってこだわりなどはありましたか?
小林:イマイさんの知り合いのカメラマンにお願いしたんですけど、ただ写真を撮るだけじゃなくて「PARIS on the City!とはいったいなんなのか」ってところから一緒に考えてくれたんですよね。
以前のアー写は3年くらい前のものでちょっと若い印象があったので、僕ももう30ですし、長く続く、どっしりしたバンドになりたいという思いのもと撮影しました。
あとはこのオレンジ色の背景が、どこなのかよくわからないというか不思議な印象なので、変化していく時代、未来、新しいことの象徴として捉えています。
そのうえで自分たちはそれぞれ普通の格好をしているんですよ。だから「時代が変わっても俺たちのやることは変わらない」「普遍的ないい音楽を作りつづける」みたいなのを潜在意識に訴えかけるというのが裏テーマで、簡単にいうと、大人っぽく見せたかったという感じです(笑)。
3年前というとコロナ禍ですし、また感覚もいろいろ変化していそうですよね。ちょっとレトロな雰囲気もあって素敵です。
小林:たしかに90年代の音楽がやっぱり好きなので、そういう意味ではレトロ感も少し意識しているかもしれません。
PARIS on the City!の音楽といえば、ポップで明るいメロディーに、切なかったり毒があったりする歌詞が組み合わさっているのが魅力のひとつですよね。
小林:僕、明神の書く歌詞の世界観に、いい意味で共感しないでめちゃくちゃ楽しいギターを弾いているだけなんですよ(笑)。まさにそれが乖離になっているのかなっていう気がしました。
それで、たとえば「イントロのメロディーいいな」って聴いてくれた人が、あとから歌詞を知って「こんなに暗い歌詞だったんだ」ってことはありそうだなと。
多面的な部分に「この人たちも人間なんだな」と共感が生まれてくれたら素敵ですよね。最初に聴いてから数年経って、もっと大人になってから聴いたときに、より深く楽しめるおもしろさがあるんじゃないかと思います。
普段は明神が作詞作曲をしているんですが、僕も初めて『さくらソング』という曲を作曲させてもらったとき、みんなの卒業シーズンに思い出に残る曲を作りたいという思いがあったんです。でも明神が「今、さくら咲いて最低な季節が蘇ってくる」っていう歌詞をつけてきたんですよね(笑)。
それが正解になるのがやっぱり彼の一番の強みというか、今のお話が具体化されている一例かなと思いました。
「さくらひらひら舞い降りて落ちて」(いきものがかり『SAKURA』)とか「『愛してる』の響きだけで強くなれる気がしたよ」(スピッツ『チェリー』)とか言ってほしいじゃないですか(笑)。
でも「さくら咲いて最低な季節が」もやっぱり耳に残るし、やっぱりすげえなって思いました。メンバーを超えてミュージシャンとしてすごいな、と。本当に尊敬しています。
明神:ありがとうございます(笑)。
小林:たぶん阿久津さんが書いたら「さくら大好き」とかになっちゃう(笑)。
阿久津信也さん(以下、阿久津):たしかに(笑)。でも『さくらソング』は1箇所だけ歌詞を変えてほしいって言っていなかったっけ?あのエピソード好き(笑)。
小林:歌い出しが「誰も居なくなった教室の隅で君とキスをした」っていう歌詞なんですけど、僕自身に校舎でキスをした経験がなかったので明神に「ちょっとごめん、ここは変えてくれるかな」って言ったら「じゃあお前が全部書けよ」って返されました(笑)。
『さくらソング』は僕が初めて作曲・編曲したPARISの曲だったので、活動開始して7年経って、満を持して僕が「キスしたな〜」って言っていると思われるんじゃないかという怖さがあって……。
明神が言うとかっこいいんですけど。僕が言っていると思われるのは嫌だという“雑魚焦り”があって、いや、でも本当にいい歌詞になったと思っています(笑)。まじで大好きな曲です。
歌詞でいうと『愛の爆心地』(アルバム『擦り切れても骨になるまで』M8)は今までになくストレートな表現に感じました。あと、先ほどのお話のとおりメロディーと歌詞の矛盾みたいな部分は引き続き見られるものの、最近はそれにくわえてすごく音が太く、ハードになった気がします。なにか心境の変化などあったのでしょうか?
明神:『愛の爆心地』はコロナ禍に作った曲だったというのもあり、あのときはなんというか、遠回しよりもストレートに伝えたほうが、自分にもだれかにも響くのかなっていうのを意識していたんですよね。
それでいうと、『擦り切れても骨になるまで』っていうアルバムに入っている曲はコロナ禍に作ったものばかりなので、わりとストレートに歌っている曲が多いかもしれないです。
イマイ:リスナーとして聴いていた身としても、あのアルバムから結構変わったなって思っています。それまでレトロっぽい感じだったのが、「お、これからストレートにロックバンドになるのかな」って感じましたね。
明神:コロナ禍はやっぱり自分たちの活動も止まっていたし、ライブも配信でしかできなかったので、言葉も音もストレートにしないと届かないって考えていたんですよね。1回、それまでの自分たちとは違うかたちを表現できたと思っています。
アイドルユニット「グデイ」へ楽曲提供もされていますが、普段PARIS on the City!の曲を作るときと異なる部分はありましたか?
明神:基本的にはないですね。自分は最初にアコースティックギターを弾いて歌いながら、そのときに出てきたものを軸に、Aメロからサビまで作っていくというスタイルなんですが、それは変えていません。
ただ、グデイの曲を作ったときは、それこそコロナ禍だったので、「照明が消えたライブハウス」っていう風景が浮かんで、そこをとっかかりに作りはじめました。
全体的に明るめの曲で、でもただ明るいだけじゃなくて力強さもある、そんな曲にしようっていうのも最初の段階で決めていましたね。自分に頼んできてくれている以上は、やっぱり自分がいいと思うものを作らないと、と思いました。
では、ここからはみなさんの人となりをより深く知るために、ボックスの中にいくつか質問を用意したので、それを引いてお答えいただけますか?
せっかくなので、全員で「せーの」で指差してみましょうか?
一同:せーの!
明神:僕の場合は自分が作ったプロジェクトだし、自分の曲を作ってなんとかPARISの世界観を維持しようとしているんですけど、やっぱり俯瞰して見られる存在がリーダーに適しているのかなと思うので、イマイに入れました。
一番冷静なんですよね。新しく入ってきたけど、やっぱりしっかりしているし、頭もいいので分析もしてくれるし。
イマイ:でも中に入ると見えなくなるものってあると思うので、僕もだんだんわからなくなってくるんだと思います。
小林:僕も期待をこめてイマイですね。本当にしっかりしているし、遠慮しないで引っ張っていってもらいたいなと思っています。
イマイ:僕は明神を指しました。分野ごとにリーダーっているかなと思うんですけど、結局僕がバンドに入るにあたってのプロセスで大事なところは、明神さんが直接言葉ではないけど背中で、ぐっと引っ張っていってくれたと思っていて……。
明神:なんか汗かいてきた……(笑)。
イマイ:でも連絡事項とか細かいところはコバがものすごくしっかりしているんです。レスポンスも早いし。
小林:いや全然「ファンキー」じゃないじゃん(笑)。
イマイ:名前はファンキーなのに一番真面目だと思って(笑)。あと阿久津さんは最後にすべてぶち壊してくれるし。
小林:たしかに。爆発力があるね。
イマイ:群馬で1,000人くらいの規模のところでライブをしたときに、お客さんがサイリウムを持っていたんですよ。そこにトップバッターで出させていただいて、最後に1人ずつMCの方に話を振られて、阿久津さんが……
阿久津:「ディズニーランドみたい」って言っただけなんですけど……。
小林:今年一番ウケたんじゃないかっていうくらいの爆発力で、1,000人の笑い声を初めて聞いて、やっぱりこの人にはどうあがいても勝てないんだなっていうのを隣で実感しましたね(笑)。
もう連絡事項とかなんもしなくていいから、YouTubeだけやってくれって何回も言って、やっと始めてくれたっていう天才です。彼にはリーダーは任せられません(笑)。
そんな阿久津さんは明神さんを指していましたね。
阿久津:そうですね、でもイマ・イマイが入るまでの3人体制のときは、ほとんど明神とコバの2人についていくっていうスタンスだったので、僕にとっては2人ともリーダーですね。
小林:なかなかないストレートな質問!
イマイ:さっき聴いちゃったところなんですけど、スピッツの『春の歌』がぱっと浮かびました。やっぱり春といえば、あの最後のサビのギターのブラッシング!あのガチャガチャガチャ……が好きで、あれを聴きたいがために曲を聴いている感じさえあります。
小林:あれはちょっと、次のアルバムに入れる曲のどこかでやりましょう(笑)。
イマイ:「春のパリまつり!2024」でも、春の曲を演奏してくれたアーティストさんは多かったですね。シンガーソングライターの山崎あおいさんの『ハルメイト』がめちゃくちゃ好きで、後ろでこっそり歌っていました。
やっぱり季節に合った曲はぐっときますよね。小林さんへの質問はなんでしたか?
小林:難しいですね……。……「いいやつ」かもしれないです。たとえば「ギター上手だね」って褒められても素直に喜べなかったりするんですよね。自分の中では「できていない」って思っているので。
ギターに限らず、自分の中の基準と褒めてくれるポイントが合わないことで、その人の言葉をまっすぐ聞けないっていうことがあまりに多すぎて……。でも「いいやつ」っていうのは嘘ではない気がします。嫌われてはいないんだな、というか。
明神:全然ファンキーじゃない(笑)。
小林:あんまり自信がないのかもしれない、特に音楽面とか……あるようにやっていますけど。でもここで自信を身につけちゃったら、僕はたぶんもうギターをやらなくなるような気もします。
まだまだポケモンマスターへの道が長いからサトシもがんばれていたように、全部クリアしたらアニメも終わっちゃったじゃないですか。そういう話なのかなっていう気がします。サトシもいいやつですからね。
一同:(笑)
阿久津:結構現実的な話をすると、僕は地元が栃木なんですけど、高校を卒業してから3年間社会人をやっていたので、たぶんそのままそこにいたのかなという気がします。
でもそれって自分で意思を持って選んだわけではなくて、なんかずっとそういう人生だったんですよね。なにをやりたいわけでもなく、とりあえず親に迷惑をかけないために県立の高校に行って、それが工業系だったので、そのままそっちの道で就職して……みたいな。
就職して3年間勤めたあとで音楽の道に進もうと思ったきっかけはなんだったんですか?
阿久津:2個上の兄貴が東京にいて、学校でドラムを習っていたんです。それで自分も高校を卒業したときにそういう学校に行ってみようかなと一瞬思ったんですけど、難しいだろうと諦めたっていう経緯がありました。
その後、入社した会社に30歳までプロドラマーを目指していた人がいて、「若いうちに好きなことをやっておいたほうがいいよ」って言われて、だんだん「やっぱりやってみようかな」と……。
田舎っていうこともあって周りの人からは「東京は冷たい人ばっかりだからやめたほうがいいよ」なんて厳しいことも言われましたけど、その人がいたから一歩踏み出せたと思います。
実際に来てみたらこっちのほうが何倍も楽しいです。もちろん向こうの人も向こうの人で、心配して反対してくれたんだと思いますし、人情深くて好きですけど。
その背中を押してくれた方もきっと今ごろ喜んでいますよね。今でもお会いすることはありますか?
阿久津:あまり会えてはいないんですけど、たまにインスタでメッセージのやりとりはしますね。
小林:めっちゃいい話……。
現在は新しいアルバムを制作中だと思いますが、今回はどういった曲が集まりそうですか?
明神:すでに1曲はライブで披露しているんですけど、本当にいろんな曲がありますね。でもまだどれも確定しているわけではないので、アレンジもどうなるかわかんないし、可能性がたくさんあって僕たち自身も楽しみにしているところです。
今回初めて外部のアレンジャーさんを採用されるんですよね。
明神:今まで僕たちだけで完結させていたものを、外部のアレンジャーさん、エンジニアさんとコラボすることで、また新しい一面を出せるんじゃないかなと思っています。
今回のアルバム制作にあたって開始させたクラファンのテーマが「今までやったことのないやり方で新しい作品を作りたい」「新体制のPARIS on the City!の作品を作りたい」というものなので、自分たちの心がわくわくするほうに進みたくて、新しく外部の方と一緒に作ることに決めました。
クラファンはわずか10日間で100%達成し、現在ストレッチゴールを目指しているところだと思いますが、以前、2019年末にSHIBUYA CLUB QUATTROでワンマンライブを行う際に立ち上げたクラファンも大成功でしたよね。
明神:達成率361%でしたね。2日間くらいで一気に支援が集まったんですよね。今回は、制作の裏側が見られたり、レコーディングを見学できたり、お客さんも作品づくりに関われるリターンも作ったので、お客さんをどんどん巻き込んでいきたいです。
では最後に、ファンの方へメッセージをお願いできますか?
明神:PARIS on the City!は今、クラウドファンディングを成功させて、新体制でみなさんに喜んでいただけるアルバムをリリースするというのと、「夏のパリまつり!2024」を盛り上げるというのを目標に集中して取り組んでいます。応援していただけるとうれしいです。よろしくお願いします!
東京生まれ、渋谷ラバー。2011年小説『空のつくりかた』刊行。その後アパレル企業のコピーライティングをしたり、webメディアを立ち上げたり。最近の悩みは、趣味が多すぎてなにも極められないこと。でもそんな自分が好きです。