もう1人じゃない。仲間ができたことで強くなれた。フィリピンの国民的タレントになったFumiyaが語る未来
#インタビュー
2024.03.21

もう1人じゃない。仲間ができたことで強くなれた。フィリピンの国民的タレントになったFumiyaが語る未来

第3回目は、フィリピンでスターになったFumiyaが、将来の展望を語ってくれました。フィリピンと日本の架け橋になりたいという気持ちは、これからもいろんな事業を生み出していくことでしょう。無限大の可能性を秘めた今後の活躍を見守っていきたい、そんな気持ちになるインタビューです。

INDEX
  1. JICAやNPO法人との仕事も順調
  2. 好きなときに好きなことができる幸せ
  3. 人生を変えた社長との再会とこれからのビジョン
  4. 具体的にどういうことをすれば叶えられそうですか?
  5. 日本の文化をフィリピンに広めたい
  6. 成長を続けるフィリピンには可能性がある
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Fumiya(フミヤ)

1995年3月19日生まれ。静岡県浜松市出身。フィリピンを拠点に活動するYouTuber、俳優、歌手、タレント。YouTubeの登録者数は、約230万人。SNSの総フォロワーは620万人を超える。フィリピンで一番有名な日本人。

JICAやNPO法人との仕事も順調

今はフィリピンでもいろんな人がYouTubeをやっていると思いますが、その中で一番になれた理由はなんだと思いますか?

シンプルに、僕がフィリピンを好きだからじゃないですかね。本当に好きだから、それが伝わったんだと思います。そもそも1番を狙いにいってたわけではありませんでしたし。

今、フィリピンのインフルエンサーとして具体的にどんなお仕事をしていますか?

色々やっているのですが、たとえば、JICAさんと一緒に狂犬病の啓蒙活動などをしています。狂犬病って怖い病気で、致死率が発症するとほぼ100%なのですが、フィリピン人にはあまり知られていません。だから、ワクチンを打たないといけないっていう事実をJICAさんと一緒にもっと伝えていこうとしています。NPO団体さんと食育のプロジェクトをやったりもしています。あとは、フィリピンで映画も決まったりしています。

仕事は順調だったんですね?

周囲からは、芸能界でうまくいったように見られてたと思うんですが、実はその後ちょっと鬱っぽくなっちゃったんです。僕は夢を追いかけていたんですけど、結局ずっと1人だったんですよね。苦しいことも楽しいこともいっぱいありましたけど、それを共有できる仲間が誰もいませんでした。ずっと成功を追い求めて生きてきましたが、いざそういう立場になったときに成功や喜びを共有できる仲間がいませんでした。苦しくなって実は家から半年くらい出ない時期もありました

それはどうやって解決したんですか?

僕、2年ぐらい前に会社を作ったんです。それまでずっと1人で活動してきましたが、今は会社のメンバーがいて、みんなと進んでいけます。もちろん人が増える分悩みも多くなることもありますが、1人じゃない。これからの成功はみんなの楽しみだと思います。今は、SNSチーム6人と、日本でカフェもやっていてトータル15人弱。会社を作ってから考え方も変わりました。

好きなときに好きなことができる幸せ

今後、Fumiyaさんはどういう役割を担っていくと思いますか?

日本に良い影響を与えたいと思っていますね。もちろんフィリピンにとっても。ピュアな日本人でありながら、フィリピンへの影響力を持っている僕みたいな立場の人っていないので。僕は、この影響力をいい方向に使いたいと思って活動しているので、今後両国にとってポジティブな影響を与えていきたいと思っています

今までの人生で、分岐点っていつだと思いますか?

2回あるとは思うんですけど、1回目は京都のエステサロンの社長さんに会って人生を変えようと思ったこと。それと、やっぱり高校2年生のときに実家のスーパーが無くなったことじゃないかと思います。

コロナで帰国を余儀なくされたと思いますが、日本ではどんなことをしていましたか?

日本に住むフィリピン人に対してなにかをしたいと思っていたので、浜松に自分のミュージアム『FumiShun Base Hamamatsu』を作りました。僕の今までのヒストリーを展示して、世界ツアーで着た衣装をフィリピンから持ってきて飾っていました。1日400人くらいの方が来てくださりました。ちょうどコロナ禍になる2週間前くらいにオープンしました。フィリピンからもわざわざたくさんの人が来てくれて、これは自分の中の成功体験として大きかったですね。それがきっかけで浜松市の観光大使にもなれました。

今、どんな仕事が一番楽しいですか?

好きなときに、好きなことができる状態を作れていることが一番楽しいと思っています。演技をしたいと思っていたら、フィリピンで映画の仕事が今月入って、社長になりたいと思ったら社長になれたので。

人生を変えた社長との再会とこれからのビジョン

人生を変えたエステサロンの社長とは再会したんですか?

しました!2021年に『Newsweek』っていうビジネス誌で、世界が尊敬する日本人100というものに選んでいただいたんですよ。それに選出された時、僕は少なからず世界に立てたって感じたので、報告したいなと思い連絡先を探しました。

辿ってやっと繋がって、メッセージで「もう覚えてらっしゃるかわからないですけど、あのときのベルマンです。お話したいことがあります」って送ったら、「覚えていますよ。会いましょう」って言ってもらえたんです。帝国ホテルのラウンジで会いました。

その社長は宣言どおりドバイに進出し、2020年に世界に出るという目標が叶っていたんです。僕もNewsweekを見せて、「あのときの言葉を信じて、それだけで進んできました。少なからず世界に立てたと思うので、感謝の気持ちを伝えたいです。今は社長にもなれました」って報告しました。彼女は喜んでくれました。「今まで私は何千人もの人に同じ言葉をかけてきたけど、その中で行動したのはあなただけだった。大体の人間が言ってもやらないから。だから、これはあなたが信じて行動し続けたからだよ」って言ってくださって…。ありがたかったですね。

将来はどんなビジョンを持っていますか?

大きなところで言うと、みんながハッピーになる社会を作りたいですね。全員ハッピーな、あんまりとらわれない社会を作りたいです。自由に生きる社会というものを作りたいっていうのを結構大きなビジョンとして持っています。

具体的にどういうことをすれば叶えられそうですか?

人と比べない、みたいな部分が大事だと思っています。フィリピンで学んだことです。こういう仕事をしてると、いろんな講演会もさせていただいていて、同年代や僕よりも若い日本の方たちに相談を受けることがあるんです。「こういうことに挑戦したいんですけど、できないんですよ」みたいな。その理由を探っていくと、大体みんな行きつく問題は一緒。時間がない、お金がない、あとは親に専門学校出させてもらったからこういう選択をするのは申し訳ないとか。こうやっているからこうって、人の目を気にしているその概念がなかったら、人って好きなことして生きると思うんです。そこに日本人は特にとらわれすぎているなって思います。

フィリピン人ってハッピーじゃなかったら仕事をすぐ辞めちゃうし、お金がなかったとしてもめっちゃ楽しむ。それを僕はフィリピン人に学んだので、そういう点はとてもいいなとは思いますね。かといって、そんな社会になるかって言ったらそうでもないと思うので、僕は中期でなにをやりたいかっていうと、エンタメの業界で大きなことをしたいと思っています。それは、日本じゃなくて、フィリピンでやりたいです。

日本の文化をフィリピンに広めたい

今、フィリピンってK-POPがすごく強いんですよ。日本もそうじゃないですか。韓国料理とかコスメとか、ファッションまでもがブームになりました。フィリピンでもK-POPが当たっているんですけど、でも日本ってなかなかそうできていない。僕が6年前にフィリピンに来た時、日本語を勉強したいっていう人が多かったんですけど、今は韓国語がしゃべれる人が多くなってきているんですよ。フィリピン人すごいな、って。

エンタメの力でここまで変えれるんだ!と思いました。なので日本人として、日本の素晴らしさや日本の文化をもっと広めていきたいと思っています。

僕は、フィリピンに対して、日本の文化を持っていける立場だと思っています。日本人でフィリピンに一番近いところにいると思っているんですよ。だから、今、僕が穴を開けてエンタメを広げたいなと思っています。日系企業やフィリピンから日本に進出する企業さんに、「みなさん、競合とか1回なしにして、みんなで手を組んで、みんなでお金を出し合って、日本の文化をフィリピンでドーンと広めることを協力してやりませんか?」って提案しているんです。

先月、ウチの会社でフィリピンでイベントをやったんです。ショッピングモールを借りて歌ったりするモールショーっていうのをやったんですけど、そういうリアルイベントや、映像、SNSとかでどんどん日本の文化を広めていきたいなと思っています。別に僕が有名になりたいわけじゃなくて、僕が有名になったその先に、日本のアーティストたちをどんどん連れていって、日本人というものをもっとフィリピンに出していきたいと思っています。

成長を続けるフィリピンには可能性がある

フィリピン以外には他の国にも進出したいというお考えはあるんですか?

僕は、フィリピンを一番に思っていますね。フィリピン人って世界中にすごく多くて、アメリカに300万人くらいいるし、日本にも30万人いるんです。K-POPも始めはインドネシア人とフィリピン人のファンが増えて、その波がアメリカに行きました。そんな経緯があるので、僕も最終的に世界中に行けたらいいなと思っています。今、グアムでのイベントも決まっています。日本のテレビの『マツコ会議』でも取り上げていただきました。こんな日本人がいるんだって反響はすごかったです。

またフィリピンに行くとお聞きしたんですが?

実はもうフィリピンに家を借りています。僕は、やっぱり夢を真剣に追いかけなきゃなと思って。拠点はフィリピンになります。会社を作って2年になりますが、社長の自分とキャラクターのFumiyaっていう二つの自分への葛藤が強くて…。

チームもありがたいことに、会社としてでき上がってきました。Fumiyaとしても出続けたいっていうのがあったんで、昔みたいにもう一発振り切ろう!みたいな(笑)。自分もまだ若いし、もう一発攻めたいって思ったんですよね。結果、僕は社長としてじゃなくて、Fumiyaというキャラクターをもう一回伸ばしたいなって思ったんです。

会社は、メンバーを信用して任せようと思っています。結構リスクでもあるし、新しい挑戦でもあると思うんですけど、みんなを信用しようと思っていて、そこに賭けています。これからは、社長としての発想をなくそうとしています。逆に、意識的にどれだけFumiyaっていうキャラクターをフィリピンで伸ばすかを考えたいです。Fumiyaが伸びたら、結局会社の目指すビジョンは近づくはずなので、本気で仕掛けようと思っています。

フィリピンと日本のエンタメ業界の違いはありますか?

時間とか台本とか、日本はしっかりしていますよ。フィリピンでは、スケジュールが突然入ったり、急なキャンセルもあるし、台本もなかったりあったり。その日にもらった台本が、いきなり書き換えらたり。まあ、それはそれで楽しんでいますね。

これからの海外へ行って活躍してみたいっていう人に対して、メッセージやアドバイスはありますか?

とりあえず出てみたらいいと思います。出て、感じて、自分が信じたものに突き進むっていうのが一番だと思います。年齢は関係ないと思います。年齢も、人の目を気にしている概念だと思うんですよね。周りのこと気にするから、年齢がっていう言い訳ですよね。僕は28才。もうすぐ29才なんですけど、それでもこれからもう1回、正面からチャレンジしてやろうと思っています。

今後、具体的にこんな会社とこんなことやってみたいみたいなことはありますか?

フィリピンにこれから進出したいと思っている日系企業さんとは、どんどん一緒にやっていきたいなと思いますね。業種に関わらず。フィリピンで活動している日本人として、僕にしかできないことがあると思うので。

今、フィリピンは、人口も伸びています。あと2年もしたら、日本の人口を抜くんじゃないですかね。物価も今すごく上がっています。エリアによっては、日本より高いかもしれません。とにかく、勢いがすごいです。フィリピンの平均年齢23歳で、日本って確か47、48歳くらい。半分以下の平均年齢で、SNSの使用率も高くて、Facebook使用率は世界一。トレンドにも敏感なので、フィリピンはすごいチャンスがあると思います。


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