東京生まれ、渋谷ラバー。2011年小説『空のつくりかた』刊行。その後アパレル企業のコピーライティングをしたり、webメディアを立ち上げたり。最近の悩みは、趣味が多すぎてなにも極められないこと。でもそんな自分が好きです。
『ダウンタウンDX』の名物プロデューサーとしてメディア露出も多い西田二郎さん。讀賣テレビ放送株式会社 コンテンツ戦略局兼DX推進局 専門部長でありながら、書籍を出版したり、ラジオ番組のパーソナリティーを務めたり、テレビの枠を超えた活動も多い一方で『水曜どうでしょう』チーフディレクターの藤村忠寿さんと「未来のテレビを考える会」を発足し、テレビを取り巻く今の時代の流れに積極的に向き合っています。
今回は前編・後編に分けて、西田さんにテレビ番組を作る発想源やIPについてうかがったところ、「天才」という言葉がキーワードとして浮かび上がってきました。
テレビ業界を志すようになったきっかけをお伺いできますか?
実はテレビ業界に入る気はなかったんですよね。一般企業に入るつもりでしたし、自分で起業するのもいいなと思っていました。でも大学生のときに先生にそれを話したら、「あほか」と一蹴されたんです(笑)。
「お前みたいないい加減な人間は、しっかりした企業には向いていない。マスコミや!」と。そんなタイミングで、友だちから「明日、讀賣テレビの面接に行くから模擬面接をやってほしい」と電話がきました。
面接官になりきって志望動機を聞いたら、正直よくある答えが返ってきまして、「それはあかんのちゃうか?」と思いました。当時テレビ局といえば応募者がたくさんいるのは当たり前で、その中でたったひとりだけのおもしろい答えを言わないと印象に残らないと思ったんです。
そこで「こんなこと言ったらどうや?」と自分なりにアイデアを出したら、彼は「わからん」と。仕方ないです、納得できない答えを無理に言わせるわけにもいかないので。
でも僕としても渾身のアイデアだったので、試したいという気持ちが沸き出てきて、友だちにも断りを入れて急遽、僕も面接に行くことにしました。当時はエントリーと試験が並行して行われていたので、まだ受け付けていたんです。
実際に面接でその志望動機を話したら、めちゃめちゃウケました(笑)。それまで、テレビ業界の人ってえらそうっていう勝手なイメージを抱いていたんですけど、みんなフランクでにこにこ、ゲラゲラ笑って自然体だったので、そこでぐっと讀賣テレビというところが大好きになったんです。
2次面接のときにはすでに僕の噂が広まっていたみたいで、「お前か!」とおもしろい答えを期待されているのがわかりました。こちら側の「好き」の感情に対して、向こうも「好き」で接してくれるので、そりゃウケますよね。
そのまま最終面接で社長とお会いして、「面接を受けてからこの会社を好きになったので、業績とかなんも知りません」って正直にお話しして、「でも僕が言うのもなんですけど、この会社成功しますよ」なんて調子のいいことを言ったら、結果、受かりました(笑)。
実際にそのときに語った志望動機とはどういうものだったのでしょう?
関西の特徴もあると思うんですけど、当時、芸人さん、タレントさんがおしゃべりして、それを楽しむという番組が多かったんです。いってしまえば、芸人さん、タレントさんに依存した番組づくり。
もちろんそれが悪いわけではありません。僕自身も好きでよく見ていました。でも有名人には頼らずに街の人と番組を作りたいと考えていたので、それを話しました。
それは讀賣テレビに入社後、実現できたのでしょうか?
いいこと聞いてくれますね(笑)。入社後の経歴をお話しすると、まずは『11PM(イレブン・ピーエム)』(日本テレビ・讀賣テレビ制作、1965年〜1990年)や『EXテレビ(エックステレビ)』(日本テレビ・讀賣テレビ制作、1990年〜1994年)といった看板番組でディレクター見習いをさせていただきました。
4年目くらいになると、社内以外にもそれなりに僕の存在を知っていただけて、「関西で一番のディレクターは西田さん」って言ってもらえそうなイメージができてきました。
そうしたら『ダウンタウンDX(ダウンタウンデラックス)』(讀賣テレビ制作、1993年〜)のディレクターになることが決まり、最初は「全国放送の番組なんて無理!」と思いましたが、ダウンタウンのおふたり、スタッフみなさんのおかげもあって、視聴率というかたちでは、いわゆる成功といえるまでになれました。
そこで、これまでやってきた、芸人さんやタレントさんのパフォーマンスを最大限に生かすという番組づくりとは違う、街の人たちだけが出演する番組を作りたいと提案したんです。「成果を出したから言わせてもらいます」と(笑)。
「もちろんええで」とスムーズに通りました。うれしかったですね〜。『いきなり!!携帯リレー』(以下、『携帯リレー』)という企画なんですけど、携帯電話を大阪駅から42.8km離れている京都駅まで届けるという……。
まずスタッフが街の人に携帯電話を渡しに行って、僕はその人に見えないところから電話をかけるんです。最初はみんな「なにこれ!?」って相手にしない感じで、京都まで届けたいって言っても「そんなんええわー」と置いていく人もいました。
でも何人かにお話ししていると、「ちょっとくらいならええよ」って歩いてくれる人が現れて、「ちょっと間に合わないかもしれないので走ってもらえますか?」って言うと、2,3km走ってくれたんです。
そのうち人の少ない郊外に入って、「次の人が見つかるまで走ってもらえますか?」ってお願いすると、汗だくだくになりながら走って次の人につないでくれて、最終的に京都駅に着きました!
それを土曜日に放送して、日曜日を挟んで月曜日に出社すると、朝には大量のFAX!当時はまだメールもなかったので、観てくれた方がFAXで感想を寄せてくれていたんですね。
2時間くらいずーっとFAXは鳴りっぱなし。しかも否定するようなコメントかなと思ったら、「こんなあほみたいな番組ようやるなと思っていたけど、最終的には泣いてもうた」みたいな、感動したっていう感想ばかりだったそうです。
この会社に入って、そこそこ成果もあげられて、自分のしたかったこともできて、『携帯リレー』に関しては大反響をいただいて続編も作ることになりましたし、テレビ業界に入ってよかったなと思いましたね。
新しい企画やアイデアを生み出すために普段から工夫していることはありますか?
情報を取りに行かないってことですかね。受け取った時点でもう一次情報をもらっているということになるので、次に自分たちがそこから派生した情報を発信すると二次情報になるんですよ。
時にバラエティ番組は二次情報の賜物だといわれることもあります。でも僕自身はあまり一次情報を処理してそこから先のイメージがふくらむというタイプではなくて、かといって一次情報のスクープを発信するというジャーナリストとしての素養もありません。
だから自分が感じていることを一次情報にするしかないんですよね。なので普段は無意味に街を歩くとか、そういうことをしています。「ネタ探し」って思ってしまうと、見つけたいネタに向かって歩いてしまうので、それは負けと一緒なんです、僕のなかでは。
“無意識の倉庫”にとにかくバンバン情報を入れていくと、なにかを考えたときにそこからポーンと情報が「これちゃう?」って出てくるんです。そういう“無意識”があるということを意識しておく、それが大事だと思っています。
時代を捉えている方って、その無意識下に芽生えた個人的な思考やアイデア、マイブームみたいなものが時代そのものとマッチすることがありますよね。
世間の流れより早くキャッチしている人もいますよね。それによって時代が変わっていくということもあると思いますし、ヒットメーカーといわれている人の中には、時代というものにマッチする尺度を持っている人も、時代にのっかっている人もいると思います。
当然、人それぞれのかたちがあっていいんですが、僕の場合は普遍的なものがいいと思っていますね。たとえば『ダウンタウンDX』の中に「スターの私服」っていう出演者の私服を紹介するコーナーがありますが、だれだって過去も未来も私服を着ているので、一過性のトレンドに左右されるような企画ではないんですよ。
ものすごく新鮮で「うわ〜!」って驚かれることはあっても、あまり下振れしないというか、いつの世も見たいと思えるもの、しかも実は意外とみんなやっていなかったな、というような、僕はそういうものを生み出したいなーと思っています。
ここまでお話を聞いてきて、ずっと楽しそうに話されているのが印象的ですが、テレビ業界というと生みの苦しみがあったり、体力的につらくなったり、大変なことも多いのではないかと思います。
やっぱりバラエティ番組を作る人間は、普段から笑っていなきゃいけないと思っているんですよ。めっちゃおもしろい番組を作ろうとしているのに、「俺いま悩んでんねん」っていう顔を見せてしまったらいけないというか……。
ただ僕の場合はどんなときも「大丈夫です!」って言っているので、先輩からしたら「空元気でやってんな〜」とか「あいつはなにも答えられへんあほやな」とか思われているかもしれません(笑)。
子どものころからテレビ業界を目指していたわけでもなく、拾ってもらえたという意識でいるので、ここで働くからには常に生き様がエンタメのように思ってもらえる努力はしてきたと思います。
そこで、「二郎の言うことやし、しゃーないな」って諦めてもらえるくらいまではやりきったんじゃないでしょうか。いつも笑っているから「なんか知らんけどあいつが大丈夫って言ったから、ちょっとほっとしたな」みたいな。
昔、先輩が視聴率が上がらなくて悩んでいたときに「何%欲しいんですか?」って聞いたら「◯%は欲しいな」って返されて、なんの根拠もなく「えっそれだけでいいんですか?大丈夫ですよ、それくらい!」って返したんですよ。先輩は「そんなん言うてくれてうれしいなー」って笑ってくれて、しかも不思議なことに実際に視聴率も上がったんですよね。
わかる気がします。西田さんに「大丈夫」って言われたら、なんでも大丈夫になりそうな気がしてきます。
そうでしょ、僕「大丈夫」の天才なのかもしれませんね(笑)。でもすべてに「大丈夫」って言うわけじゃないんですよ。その人の後ろに未来の“大丈夫”なイメージが見えるときだけです。
たぶん、その人が見せているんですよ、僕には特殊能力もなにもないですもん。結局未来をポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかはその人次第で、僕からしたら「なんで僕を“大丈夫の天才”にしてくれるんですか?」という感じですね(笑)。
「みんなが天才になってはいけない」と考える人が意外と多くて、その思いが自身のやりたいことを阻めているような気がします。僕の場合は、自意識というのか、自分に対しての思いがえげつなく濃いっていうのを自覚しているんですが、でも本当はみんなもちゃんと自己愛を持っていると思うんです。
はずかしくてそういうのを出せない人もいるのかもしれないですけど、もっと思いっきり出したほうがいいと思いますね。
人ってだれしも一色じゃないので、だからそれぞれ異なるIPが生まれるんですよね。「スピルバーグ監督だったらもっとおもしろい企画が作れるのに」みたいなことを言う方もいますが、スピルバーグだってもとは無名の新人です。最初はみんな同じ“幼虫”なんですよ。
その後カブトムシになるのかコガネムシになるのか、蝶々になるのか、自分自身で生き方を決めちゃっている人が多いと思います。でも全然決めなくていいんですよね。全員でスピルバーグになったらいいじゃないですか。
僕自身、愛されるテレビ番組をそれなりに作れたかなと自負していますけど、東京にはこの程度のヒットメーカーはゴロゴロいるんですよ。僕より成果をあげている人も、見識が広い人もいっぱいいます。そのなかで僕がやらなきゃいけなかったのは、下駄を履かせてもらってでも「讀賣テレビにこんなやつがいる」っていうことを見せつづけること。
しんどかったですね〜。「みんな『ちょっとヒット番組を作っただけでこんなに目立ちたがるのか』って思っているんだろうなー」と思いながら地道に自分の力で階段をのぼりつづけました(笑)。
もちろん本当は自分がなにも言わなくても周りが認めてくれて、勝手にスピルバーグになれたらそれが一番です。でも僕の場合はそれは難しそうだなと思ったので、自分からアピールしつづけたんですよ。そうしたらおもしろいもので、言いつづけていると人もそういうふうに見てくれるようになるんですよね。
それで「すごいですね」って褒められたときに、実際は違うっていうのを自分が一番わかっているので「そんなことないです」なんて言うじゃないですか。そうすると「謙虚だなー」っていうふうに見てくれて、また僕の株が上がるんですよ(笑)。今回もこういうかたちで取材をしていただいて、また階段5段くらい上がっちゃうんじゃないですか?
そんなことを言っていただけると、当メディアも一気に階段のぼっちゃいますね(笑)。
日本という環境の特性なのかもしれませんが、謙虚であることが美徳とされているじゃないですか。だから「私みたいな凡人が……」といったことを言う方が多いですよね。でもだれが決めたんですか?「あなたは凡人です」って書類かなにか届いたんですか?って思うんです。
IPっていわゆる知的財産で、「財産」というからには価値があるもの。じゃあほかにはない価値を持つものってなにかといったら、自分はこうであるってちゃんと思えるものなんですよね。ということは、自分がやっていることに誇りを持ち、ほかの人に対してもリスペクトを持つことが大事。
自分のなかから生じるものにおいて、ほかの人は一切関係ありません。だから他人をリスペクトはしても責めることはしない。とにかく一人ひとり、「自分が天才」なんです。
学校などで講義をする機会もあるんですが、学生たちに「自分のことを天才と思う人いる?」って聞くと、まぁみんな手を挙げませんね。はずかしいのか、まだ実績がないからなのかわからないですが、べつに成功は天才の証明ではないんですよ。
さっきから例に挙げているスピルバーグについても、成功しているから天才というわけではありません。彼は天才でもあり、成功している映画監督でもあるんです。
僕は小さいときから「僕みたいな天才は」っていうのを口癖のように言いつづけてきました。「僕みたいな天才はやっぱり空の色も違うように見るなー」とか。正直「天才のわりにはあんまり思うようにできてへんな」と思いながら(笑)。だから「なんで人の理解を求めなきゃいけませんか?」って言いたいです。
IPを生み出すうえで、みんなが“凡人”になってしまっている今みたいな状況は、かなり危機的だと感じています。圧倒的に全員が全員、自分が天才だと思えるような環境を作っていくことが、これからのIPを考えていくうえでは一番大切。
毎日自分のことを天才だと思ってにこにこしていたら、会う人はどこかで「やっぱり二郎さんはなんかちゃうな」と思ってくれるんですよ。
昔と比べて、今は結構天才を認める時代になってきたと感じます。いろんな天才が出てきていません?それでいいんですよ。どう考えたって、自分のことを天才だと思っているほうが人生楽しくなると思いませんか?
(後編へ続く)
東京生まれ、渋谷ラバー。2011年小説『空のつくりかた』刊行。その後アパレル企業のコピーライティングをしたり、webメディアを立ち上げたり。最近の悩みは、趣味が多すぎてなにも極められないこと。でもそんな自分が好きです。