元野猿!羞恥心、Pabo…番組発ユニットを多数輩出した名テレビプロデューサーの思う業界の未来【前編】
#インタビュー
2024.04.10

元野猿!羞恥心、Pabo…番組発ユニットを多数輩出した名テレビプロデューサーの思う業界の未来【前編】

『クイズ!ヘキサゴン』シリーズや『全力!脱力タイムズ』をはじめとする数々の人気番組を世に送り出し、フジテレビ人気を支えてきた立役者、神原孝さん。彼が手がけた番組からは出演者によるユニット「羞恥心」など、いわゆる「IP(知的財産)」が新たに生まれることが多いのも特徴です。

今回は前編・後編に分けて、神原さんが数々の番組でヒットコンテンツを生み出すようになるまで、そして現在のテレビ離れといわれる状況の打開策などについてお話をうかがいました。

INDEX
  1. ドラマ制作を志すも配属先はバラエティ制作部
  2. ヘキサゴンファミリーの「パパ」
  3. タレントの個性を引き出すのがフジテレビの番組の作り方
  4. とんねるずとの出会いが転機
  5. “Pabo”・“羞恥心”…『ヘキサゴン』発のIP
  6. マネージャーもふくめて「ファミリー」
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神原 孝

フジクリエイティブコーポレーション(FCC)執行役員。1991年にフジテレビに入社後、『とんねるずのみなさんのおかげです』をはじめとする人気番組のディレクターを務め、『クイズ!ヘキサゴン』シリーズ(総合演出・チーフプロデューサー)、『爆笑レッドカーペット』(チーフプロデューサー)、『アイドリング!!!』(制作)など数多くのバラエティ番組を生み出してきた。現在は『全力!脱力タイムズ』(チーフプロデューサー)などに携わる。

ドラマ制作を志すも配属先はバラエティ制作部

神原さんがテレビ番組制作を志すようになったきっかけを教えてください。

もともとテレビや舞台が好きだったんです。高校生のときには映画を作ったり、自分も出演したり、舞台に参加したりしていたし、大学に入ってからも毎日のようにテレビを観たり、野田秀樹さんが高校の先輩ということもあって、主宰されていた劇団「夢の遊眠社」の舞台を観に行ったりして、自然と「なにか形に残るものを作りたい」と思うようになりました。

舞台だと一度に一緒に観られる人数が限られるから、もっとたくさんの方々に同時に観てもらうためにはテレビドラマだと思い、テレビ局を受けはじめることに。

でもスタートが遅かったということもあって、各局落ち続け、最終的にフジテレビに受かったのはよかったけど、ずっと「入社したらドラマを作りたいです!」って言いつづけていたのに、いざ配属先が決まったのはバラエティ班。

発表されたとき、周りがざわついていたのを覚えています。なぜならバラエティ制作はとにかく厳しくて、大変で、地獄のようだって有名だったから(笑)。

高校時代は出演もされていたとのことですが、最初から俳優ではなく制作するほうを希望されていたんですね。

俳優は今でもやりたいんですけどね(笑)。最近もプロデューサーを務めている『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系、2015年〜、以下、脱力タイムズ)の中で本人役としてちょっと映ることもあるんですけど、いつかちゃんとした役をやりたいって思っています。

でもそのおかげか、出演する側の気持ちがある程度想像できるので、「こういうふうにしたら気持ちいいだろうな」「見られながら表現するのは緊張感があって大変だな」など、出演者目線を意識しながら作れているところはあるかもしれません。

神原さんは『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系、1997年〜2018年)のディレクター時代に、番組から派生して生まれた音楽ユニット「野猿」としても活動するなど、実際に制作サイドと出演サイドを行き来していますし、表現者としての理解が高いというのが制作する際の強みになっていそうです。

どうなんですかね〜?そう思っていただけるのであれば、そうです(笑)!

ヘキサゴンファミリーの「パパ」

『クイズ!ヘキサゴン』シリーズ(フジテレビ系、2005年〜2011年、以下ヘキサゴン)に出演されていた方々からは「パパ」と呼ばれるなど、チーム全体で仲のいい印象があります。

最初は(上地)雄輔が言い出したのかな。雄輔とは年齢が一回りくらいしか離れていないから「子ども」っていうのはありえないんだけど、全員子どもたちみたいに思っている部分はありますね。子どもであり、時に弟、妹であり……。

僕が番組を作るときにこだわっているのは、家族、ファミリー感を作りたいというところ。でもドラマだと、3か月間以上の撮影中ずっと一緒にいるから絆も深まるものだけど、バラエティ番組は基本的に隔週2本撮りなので、あまり会えません。その分スタジオで家族のように接することで、「一緒に作っている」という感覚を作ろうとしています。

『ヘキサゴン』番組終了から10年後の2021年には、YouTube上で“同窓会”を生配信していましたが、それを呼びかけたのも神原さんなんですよね?

やるつもりはなかったんだけど、「やるの?」「じゃ、やろうか」みたいな感じで自然と集まりました(笑)。コロナ禍というのもあったし、みんなの負担はなるべくかけないように、「この時間に入れれば入ってもらって、入れなかったら無理しなくていいから」って。

昔からそうやってゆるい感じで集まるメンバーだったんです。あまり制約をしてしまうと、彼らのよさがなくなってしまうので、ある程度自由にやらせてあげて、泳がせるというか、そういうことが大事だと思っていました。

『ヘキサゴン』については、珍回答があまりにも多いからよく「言わせているんでしょ」みたいなことを言われることも多かったんですけど、「あんな回答思いつくわけないじゃん」って思いますね(笑)。

型にはめて、「こう言って」「あれやって」「これはしないで」と縛ってしまうと、おもしろくなくなっちゃう子たちだったので、基本は野放しで、その分オーディションにすごく力を入れました。

絶対に対面で30分〜1時間しっかりしゃべって、人となりをわかったうえで、一緒に仕事をしたいな、と思える子にお願いをしてきたんです。そこはずっとこだわりつづけたところですね。

タレントの個性を引き出すのがフジテレビの番組の作り方

一人ひとりの個性を引き出すというのは、神原さんならでは、それともフジテレビならではの番組の作り方なのでしょうか?

たぶんフジテレビの人間であれば、みんなできていると思います。たとえば今でも『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』(フジテレビ系、2018年〜)の中でやす子っていう芸人のよさを引き出したり、菊池風磨というアイドルからバラエティにおける優秀さを引き出したりしているし。

もちろんどのテレビ局もやっていることだとは思うけど、僕は、フジテレビは特にそういうのが得意な人たちが代々集まってきたテレビ局だと思っています。

僕自身は『ヘキサゴン』時代、わざと(島田)紳助さんの楽屋にずっといるようにしていました。収録のとき以外はとにかくずっとそこにいて、特に会話をするわけでもないんですけど、「今日のテストこれです」って渡して「俺もやろう〜」とか言って、「何点?」って聞いたり。

『脱力タイムズ』でも、最近はしていないですが、しばらく嫌がらせのようにMCの有田哲平の楽屋にいるようにしていました。向こうはやりづらい部分もあると思いますが、そうすることで、ふとしたときの会話から相手の最近の思考に気づいたり、新しいアイデアが生まれたりするんです。

思いつきみたいな感覚で言ってくれた言葉を逃さないうちに形にすることができたので、紳助さんからは役所でいうところの「すぐやる課」の人って言われていましたね。『ヘキサゴン』といえば階段のセットのイメージが強いかなと思いますが、あれも1週間で作ったんです。

紳助さんはそういうのを粋に感じてくれて、がっつり向き合ってくれるので、それでまたいいものが生まれるんですよね。でもたまに成立させるのが難しいアイデアは無視して、なかったことに(笑)。

紳助さんはそれにも気づいてくれていて、何年かあとに「神原さんが無視するのは『やったらあかん』ってことだから、それ以上は言わないようにしている」って言われて、わかってくれていたんだなと思いました。そういうコミュニケーションをずっと、築きながらやってきたんです。

とんねるずとの出会いが転機

最初に配属されたのはクイズ番組。『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系、1981年〜1996年)、『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ系、1988年〜1994年)、『カルトQ』(フジテレビ系、1991年〜1993年)と修行させてもらったあと、なにか違うことをやりたいなと思いはじめたときに『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系、1988年〜1997年)って番組にディレクターで参加しないかと声がかかり、二つ返事で「やります!」って言いました。

『みなさんのおかげです』は『とんねるずの本汁でしょう!!』(フジテレビ系、1997年)『とんねるずのみなさんのおかげでした』と2回リニューアルするんですが、『本汁でしょう』のときに、このお台場のフジテレビ社屋近くに1か月かけて競馬場を作ったんですよ(笑)。風で砂が高速道路に落ちてクレームが来て……、とんでもない番組でしたね。

タレントさんの名前を冠した総合バラエティで、歌もある、コントもある、ゲームもある、なんでもあるっていうあの環境にいられたのは、僕のテレビ人生において一番大きな経験だったと思います。「テレビ番組を作るのって大変だけど楽しいな」とも思いましたし、「制約がないんだ」「いろんな可能性があるんだ」と身をもって感じました。

『ヘキサゴン』からは「羞恥心」といった音楽ユニットが誕生するなど、それまでのクイズ番組のイメージとは異なる展開もありましたが、それもこのときの経験があってこそだったのでしょうか?

『ヘキサゴン』からはスピンオフ企画で『お台場探偵羞恥心 ヘキサゴン殺人事件』(フジテレビ系、2008年)っていうテレビドラマを作ったり、コンサートを開催したり、いろいろできましたけど、そもそもとんねるずと一緒に仕事をしていなかったらそういうことはできなかっただろうと思います。

だから未だとんねるずのおふたりを前にすると、緊張してイヤ〜な汗をかいちゃうんですよね(笑)。

“Pabo”・“羞恥心”…『ヘキサゴン』発のIP

神原さんの手がけた番組は、そこから派生して新たなIP(知的財産)コンテンツが生まれることも多いと感じますが、なかでも成功したと思われるものはなんですか?

やっぱり圧倒的に『ヘキサゴン』ですかね。そういう意味では『ヘキサゴン』はいつの間にか「みんなでテレビを使ってどう遊ぶか」ということがテーマになっていったような気がします。

もともと僕も『みなさんのおかげでした』から生まれた「野猿」として活動したり携わったりしてきたことで、番組から生まれたIPが社会現象を起こすこともあるっていうのはわかっていたし(編集部注:野猿は、とんねるずと番組スタッフからなるユニットで、当時社会現象になるほど人気を博した)そういうのが大好きなので、まず目立っていた女の子3人(里田まいさん・スザンヌさん・木下優樹菜さん)で「Pabo」っていうグループを作ったんです。

そしたらやっぱり楽しくて、僕だけじゃなくて紳助さんも楽しんでいました。それで「次は男性だよね」「ちょうど、うってつけのが3人いますね」っていう話になって、「羞恥心(つるの剛士さん・上地雄輔さん・野久保直樹さん)」の結成が決まったんです。名前の由来は、番組のなかで雄輔が「羞恥心」を「さじしん」って読んで盛り上がったから(笑)。

いざ曲を発表したら大きく跳ねて、すぐに池袋サンシャインシティでデビューイベントをすることになりました。控室であの3人とスタッフ同士で「お客さん来てくれるかな〜」とか話していたんですけど、1回様子を見に外に出てみたら、ぶわーっとものすごい数の人がいて。

すぐに扉を閉めて、もう1回開けて、やっぱりすごくて「やべえぞ」と(笑)。本人たちもびっくりしていました。そこからは怒涛の展開で、セカンドシングル発売日には大阪・名古屋・東京を1日で回るっていうハードスケジュール。

最終的には代々木体育館で「ヘキサゴンファミリーコンサート」まで開催することになったわけなんですけど、もちろん最初からなにも考えずにただ運だけでそこまで人気になったわけではないと思っています。

ライブで盛り上がれるようにタオルを使った振り付けを入れるっていうのは決めていたし、まぁこれは盛り上がるだけじゃなくて会場でタオルが売れるっていう狙いもあったんですけど(笑)。

あとグッズやDSのゲームも発売したんですけど、事務所が違う子たちが集まっているから、権利関係をクリアにするためにイラストで本人たちのキャラクターを先に作っておいたり。

そのうえで、どんどんいろんなメンバーでユニットを組んでいきました。それには、みんなで一緒にこの番組に参加しているんだっていう意識を持ってもらうという目的があって、「がんばってくれている子はデビューできる」っていう暗黙のルールみたいなものを作っていましたね。

アイドルグループの選抜みたいですね(笑)。

まさにそんな感じでした(笑)。(南)明奈が言っていたんだけど、学生のころから芸能活動をしていたから学園祭とか学校行事に参加してこなかったと。でも初めてみんなで学園祭を作るみたいな体験ができてすごくうれしかったって言われて、僕もうれしかったですね。

最初は歌が苦手って言っていたのに、人一倍練習して率先して生放送で歌ってくれて、みんながどんどん前に出ていくっていう仕組みを作ることができたかなと思っています。

マネージャーもふくめて「ファミリー」

メンバーの方々をキャラクター化してグッズ展開したとのことですが、それでもそれぞれの事務所と折り合いをつけるのは大変だったのではないでしょうか?

「みんなで一緒に作っていく」という感覚になっていたのはタレントたちだけではなくて、事務所のスタッフたちも同じだったんですよね。きっかけは、ヘキサゴンファミリーで行った沖縄合宿だと思うんですけど、事務所をまたいでマネージャー同士が仲良くなって、休みの日に一緒に遊びに行ったり、ゴルフに行ったりしはじめたみたいです。

それで本当にタレントもマネージャーもみんなでファミリー!みたいな感じを作り出すことができて、なにか新しい企画が立ち上がったときに「神原さんに任せます」って言ってくれる関係性を築けたわけです。

「絶対に変なことはしない」と信頼してくれているので、こちらもきちんとそれに応えなきゃいけないと思って行動しますし、この関係性を築けたのは、僕自身もいい経験になったと思います。

(後編へ続く)

取材・文:浦田みなみ 写真:蒲生善之

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